お寺と供養について
『お寺』とは、一体何のためにあるのでしょうか?
そんな素朴な疑問を持ったことはありませんか?
一言で答えるならば、それは、「供養(くよう)のため」と言っても過言ではないかも知れません。
では「供養(くよう)」とは?
文字通り、仏様やご先祖様また万霊に対して「お供(そな)えして、養(やしな)う」ことをいいます。
《お供えする》
私たちが持っている3種類の大切なものを、あえて差し出してお供えします。
1. 身供(しんく)
身体でお供えする
奉仕する、供物を供える、参拝・合掌するなど
2. 口供(くく)
言葉でお供えする
お題目を唱える、お経を読む、教えを伝えるなど
3. 意供(いく)
想いでお供えする
一心に祈る、感謝・反省・謙虚な想いを念ずるなど
どの供養においても共通するのは”忙しい”現代人にとって、とても大切な「時間」をお供えするということです。
「時間が惜しい・・・」とついつい口にしてしまうことがありますが、あえてその大切な「時間」を供養に充てること自体が、大変尊いことです。
1日のほんのわずかな「時間」であっても、仏壇の前で静かに合掌し、お題目を唱え、祈ることを習慣にしてみてはいかがでしょうか。これだけで1~3の内容を立派に「お供え」することになります。
《養う》
三宝 ( 仏 ・ 法 ・僧 )を養う。
いのちの根源である仏様、仏様の教え、教えの伝道者にお供えすることによって、私たちを導いてくださる力・守護してくださる力「法力(ほうりき)」を養います。
日蓮聖人は全ての経典を研究した成果として、“国家の安泰”のためには、この「法力」を高めていくことが、最も大切であることを明らかにされました。
ご先祖様や万霊を養う。
家族や縁者が亡くなった後、長い期間をかけて「追善供養(ついぜんくよう)」を行っていくことによって、霊位が浄土に向かう力、成仏する力、ご家族・縁者を見守り守護してくれる力を養っていきます。
そしてまた同時に、万霊にも同じ想いを捧げていくことがとても大切です。
追善供養とは、次の順で行っていきます。
- 枕経(臨終直後)
- 通夜葬儀
- 初七日忌、二七日忌、三七日忌、四七日忌、五七日忌、六七日忌、四十九日忌
※1~3の供養を経て 本格的な浄土への旅路が始まります。
- 百箇日忌
- 一周忌(1年後)
- 三回忌(2年後)
- 七回忌(6年後)
- 十三回忌(12年後)
- 十七回忌(16年後)
- 二十三回忌(22年後)
- 二十五回忌(24年後 「弔い上げ」の半期)
- 二十七回忌(26年後)
- 三十三回忌(32年後)
- 三十七回忌(36年後)
- 四十三回忌(42年後)
- 四十七回忌(46年後)
- 五十回忌(49年後 「弔い上げ」=この頃までには成仏されている)
自分自身の魂を養う。
ありのままの自分に向き合い心の中の仏様を見つめながら、純粋な想いで「お供え」することは、自分自身の魂を磨き・養い・高めることにつながっていきます。
いずれは現世での命も尽き、浄土へと歩むべき身なのですから、生前中から仏様やご先祖様への「供養」を通じて、自らの魂を養い、浄土への旅路を逞しく進んでいける「功徳力(くどくりき)」を養っていきたいものです。
「供養」についての、疑問・質問は気軽にお問い合わせください。