手の心
ようやく富士山が冠雪し、いよいよ冬の訪れを予感させる季節になってきました。
富士下ろしの風が空気を冷やすため、朝晩が急に冷え込んでくるのです。
いまはコロナ禍のため、海外からの観光客はほぼいらっしゃらない状況ですが、
アジア、特に中国の方は、富士山を自分の目で見ることを一番の楽しみに来られる方も多いようです。
以前、生まれて初めて富士山を観た中国の方が、次のように話して感動されたそうです。
「日本では、山までもが合掌しているのですね!」と。
その中国の方には、富士山が「合掌している手の形」に見えたわけですね。
日本人でも、普段そう感じている人は少ないのではないでしょうか?
その言葉を知って、私はあらためて富士山の素晴らしさ・尊さを実感したものです。
さて、その”手と手を合わせる”「合掌」の「掌」の字に、「しょう」という読み方以外に
『たなごころ』
という訓読みがあることを皆さんは御存知ですか?
『たなごころ』という読みは、『手(て)の心(こころ)』が転じたものだそうです。
そう、まさに私たちの手の平(掌)は、私たち自身の「こころ」や「想い」が現れるところなんですよね。
たしかに、大切な人の痛み取ってあげたい想いを「手当て」と言いますし、
人を励ましたい時は手の平で背中をポンと叩いたり、
愛しい子供の頭を手の平でナデナデしたり、と
相手を大切にしたい想いを、手の平で表現することは人間の自然な動きだと感じます。
手の平(掌)を、『手の心』(たなごころ)と読むことが、本当に腑に落ちます。
仏様に合掌する時は「自分の心と仏様の心がひとつになること」を、
ご先祖様に合掌する時は「自分の心とご先祖様の心がひとつになること」を、
相手の幸せを祈って合掌する時は、「自分の祈りと相手の幸せな姿がひとつになって、祈りが叶うこと」を…
そんなイメージをしながら、『たなごころ(掌)』を”合わせて””みてはいかがでしょうか?
想いが、祈りが、もっと強く深くなるかも知れません。
合掌