木中の花

西日本、東海地方まで梅雨入りしているはずですが、このところは晴天の日が続いています。

「梅雨入り」というのも所詮は人が判断するものですから、

大自然にとっては、”そんなの勝手に決められても困るよ…”という想いかも知れません。

 

人間界のとまどいとは関係なく、

例年通り、境内の紫陽花(あじさい)が美しい花を咲かせてくれました。

毎年、盛夏の頃には、紫陽花の花と伸びた枝を剪定をするのですが、

真冬の頃に、剪定された後の紫陽花を見ると、まるで枯れてしまったかのように感じてしまいます。

それでも、季節が来るときちんと葉が出て花が咲くのですから、本当に自然の偉大な力を実感します。

 

 

日蓮聖人の『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』というご文章の中に、

木中の花(もくちゅうのはな)

という言葉が出てきます。

 

枯れてしまったように見える紫陽花の枝木のなかには、

きちんと「花の生命」が秘められている。

 

この自然の法則と同じように、

私たちの心も、様々な煩悩によって汚れて”枯れてしまった”ように感じたとしても、

そのなかにはきちんと

「仏の生命」

が宿っている、秘められている、という聖人の教えです。

 

その時期、その条件が整った暁には、

かならず「仏の生命」という「美しい花」を誰もが咲かせることが出来る。

だから、

みんな、あなたも、わたしも、周りの人も、人種も関係なく、みーんな

  素晴らしい!!

 

コロナ禍のなか、人々の心が枯れてしまいそうに感じることもありますが、

そんなことはあり得ません。

自然の花を見ながら、私たちの「木中の花」を信じて、乗り越えて行きましょう!

合掌